久留米絣
久留米絣とは
久留米絣が福岡県南部で産声をあげてから、西暦二千年でちょうど二百周年を迎えます。
職人達が藍染の綿糸を丹念に織りなし、藍と白のコントラストで生み出す絣模様。
そのシンプルで巧妙な美しさ。自然素材の素朴な味わい・・。これが魅力です。
絣の良さは、広く日本全国で認められるようになりました。国の重要無形文化財、通産大臣
伝統的工芸品に指定されるなど、日本の伝統織物のなかで重要な位置付けがなされているのです。
また、きものに限らず、洋装のファッションアイテム、おしゃれ雑貨、インテリアへと活躍の幅を広げています。今の気忙しい世の中で、久留米絣を”癒し”として暮らしの周りにとり入れる・・そんな新しい動きもあるようです。 |
 |
久留米絣の歴史
久留米絣が誕生したのは、今から二世紀前。福岡県久留米の井上伝によって発明されました。伝は12歳の頃、着古した衣類の黒地の表面に付着した斑点に興味を覚えたといいます。まるで布の上で舞うあられのような斑点は、あたかも人工的な柄のように彼女の眼をにうつり、やがてかすれた感じの柄を持つ織物へと結び付いたのです。伝のインスピレーションから生まれた絣の技法は、二人の人物の発明・工夫を得て、さらに奥行きを
増します。優秀な機織りだった牛島ノシは、久留米絣の代表的な柄とされる小柄の国武絣を考案。
大塚太蔵は織物上で絵や文字を自在に表現しようと研究を重ね、絵絣を考案しました。こうして大柄・小柄・絵絣とそろった絣は、やがて久留米絣という呼称で全国に広まり、久留米とその周辺地域は絣の流通の中心地となったのです。二百年前に少女が抱いた夢は久留米絣に宿り、21世紀を迎えます。
|
久留米絣の工程
図案づくり
久留米絣でできるまでには30以上にも及ぶ工程があります。最初は柄模様の図案づくり。
この図案が、絵糸書の土台となります。最もポピュラーなのは矢絣やアラレ、亀甲、井桁、市松
などの古典柄。今の新しいデザインの基本にもなっているのですから、先人の美意識には驚くばかりです。
絵糸書
絵糸は、緯糸をくくる時の目印。くくられた部分は染めの時白く抜けて絣の模様となります。絵糸書はとても細かく根気が要る作業で、工程の中でも前半の大切な作業です。
手くくり
経糸も緯糸も長く張って、それぞれ絣の白くなる部分に印を付けて粗そうでくくる、それが手くくりです。
きわめて難しい作業で、大変な熟練を要します。
藍染
藍瓶の、濃度のうすい藍から濃い藍へと繰り返し浸した糸は、その都度地面でたたき、藍の酸化を促して染色を助けます。こうして、味わい深い藍色に仕上がります。
手織り
投ひばたという織機を使う手織り。巻き取った緯糸を経糸の中に通す柄模様の合せをはじめ、すべての作業が数十年の経験と技術の研鑚を必要とされます。 |
 |
 |
久留米絣200年の歩み
- 1788年 久留米絣創始者井上伝女生る
- 1800年 井上伝久留米絣発明
- 1806年 絵絣(絵糸台)技術発明者大塚太蔵生る
- 1812年 小絣(国武絣)技術発明者牛島ノシ生る
- 1872年 鹿児島から紡績糸が入る
- 1879年 徳島阿波藍移入始まる
- 1880年 久留米絣生産者、販売者の責任証紙の張付、統一表示が始まる
(緑藍組=藍染業、絣生産者、千年社=販売業者で組織)
- 1886年 生産量46万反 生産額50万円を記録
- 1890年 久留米紡績設立
- 1899年 製品鑑定所を40余ヵ所に設置
- 1938年 綿業統制され綿糸割当生産となる
- 1944年 日本美術工芸統制協会より綿糸割当をうけて技術保存を行う(会員11名)
- 1946年 久留米絣生産復興
- 1948年 統制廃止により自由生産となる
- 1955年 福岡県絣検査条例が制定・施行
- 1957年 国重要無形文化財に認定される
- 1962年 組締(織経・織緯)技法が福岡県文化財に指定される
- 1976年 通産大臣指定伝統工芸品に指定される
- 2000年 久留米絣生誕200年祭
久留米絣200年祭実行委員会の資料より抜粋 |
|
久留米絣考案者 井上 伝 女史
|
 |
|
|